ツイッターの文字数では伝えきれなかった事を補足する会
こんにちは。わいわいデリカです。
最近、ドラクエビルダーズ2にハマっていて何にも手につかない状態です。
そんなことより、
最近、自身のツイートをあまりしてないのですが(これもビルダーズの影響)
ツイッターってよくもわるくも文字数制限があるので、
「もっと伝えたい事がある!」
「こんな内容で誤解を与えそう!」
と感じる事がたまにあります。
まぁ、文字数に限らず自分の文章力を鍛えろって思った方は、
コメント欄で話を聞きましょう笑
そんなこんなで自身のツイートを使って
『ツイートでは伝え切れなかった事を補足する会』を発足 。。(偶然でるダジャレほど屈辱的なものはない。)
細く長くシリーズ化していきたいな。
コメやリプへの思い
自分がコメントやリプをする理由はもちろん交流の意味もあるんだけど、
— わいわいデリカ (@waiwaideli) 2019年1月13日
コメントやリプをする事でその人のブログやツイートが装飾されていく感じがするから。
アマゾンとかでもレビューがついてない商品って見る気にならないのと同じ。
少しでも人のためになりたい。#迷惑だったらすぐ言ってください
以前、こんなツイートをしました。
書いているときは気づかなかったんですが、後から読み返すと
「全く意味が分からなかったって思った。」
あせったわいわいは続けてこんなツイートを、
自分のツイート見返したら、装飾って言葉変かなって思ったので訂正。
— わいわいデリカ (@waiwaideli) 2019年1月13日
リプやコメントすると、ブログやツイートに価値がついていく感じ?
うまくいえないけど自分のブログでいうと、無益な記事がコメントがくるおかげで有益になる感覚がする。
だめだ、うまく言えないから誰かお願いします😂
ダメなときは何やってもうまくいかない例です。
よけいに混乱しました。
いまだにもやもやした件なので、今回ブログできちんと書きたい。
書いてあるように自分がコメントやリプをするのは、
交流すること!それには色々意味があって、
・お互いがコメントしあう仲の人との繋がり
・単純に面白い、自分の意見が言いたい時の一期一会の関係
大きくはその2点。
で、それとは別につい最近の実体験で気づいたんですが、
いつものようにダメ記事を量産しネットの中にポイ捨てしていた自分ですが、
その記事にコメントが届きました。
いつものように「ありがてぇ」状態だったんですが、
なぜか突然、不思議な感覚になりました。
全くの無益と思っていた記事が、
そのコメントのおかげで有益な記事に生まれ変わった気がしたのです。
意外にまじめな自分は「もしかしたら・・」と思い今までの全記事の全コメントを見返すと、、
ツイッターのマナーに悩んでいた記事には、
「ツイッター歴10年だけど、こう思うよ~」
家の事、書いたときには
「自分もこういう失敗した~」
「ちょうど今悩んでいた~」
抱えた問題をさらした記事には、
「みんな同じだから一緒にがんばろ~」
などなど、少し省略しましたが色んなコメントがあって、めちゃくちゃ凄い!
結局、何が言いたいかというと!
自分で書いた文章だけではなくて、皆さんのコメント含めて他の人に見られている。
わいわいが記事を書く→コメント頂く→それを誰かが読んだ時にそのコメント含め誰かの役に立っている。
その凄さ、有意義さに気づいた。
なので、自分がコメントやリプをする理由は、
主役である主のブログにほんの少しでも脇役として立つ!
学芸会でいえば、正に「木」。
木がなくては森の中っていうシーンは作れない。(上手い事言おうとして失敗したパターン。)
こういうこと言うと、あまのじゃくさんは
「わいわいにコメントした私を木と見てたのか!」
「私の記事がダメ記事って言いたいのか」ってなりそうですが、
もちろん例えばなしで実際は違いますし、
それでもなにかあれば話はコメント欄で聞きますよ!笑
まとめ
コメントをただただ感謝していただけだったけど、
違う視点でコメント見る事でその感謝が何倍にもなった感覚。
結局、一人ではなく誰かに支えられてブログをやれてるという感謝。謝謝。
そして、これからもちゃんと具体的にコメント書く!
心をこめて書く!オラとおめぇの約束だ!
最後の一言
批判的コメントはまだないけどずっとおびえてます。
わいわいデリカでした。